イブラーヒーム(アブラハム:彼に平安あれ)は故郷を去った後、主に敬虔な息子を授けてくれるよう祈った。そこでアッラーは優しい男児イスマーイール(イシュマエル:彼に平安あれ)の父親となるだろうという吉報を伝えた。イスマーイールは、神の友であるイブラーヒームが86歳の時に誕生した。
イスマーイールが共に働く年頃になった頃、イブラーヒームは息子を犠牲にする夢を見た。預言者の夢というのはアッラーからの啓示である。イブラーヒームの夢はアッラーから与えられた重大な試練であり彼は苦悩に苛まれた。クルアーンは述べている。「かれ(イブラーヒーム)は言った。
『息子よ、わたしはあなたを犠牲に捧げる夢を見ました。さあ、あなたはどう考えるのですか。』かれは(答えて)言った。『父よ、あなたが命じられたようにして下さい。もしアッラーが御望みならば、わたしが耐え忍ぶことが御分かりでしょう。』」(整列者章102)時が来て二人はアッラーの御意志に従うよう命じられた。
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クルアーンによると「そこでかれら両人は(命令に)服して、かれ(子供)が額を(地に付け)うつ伏せになった時」(整列者章103)、すなわち、イブラーヒームとイスマーイールがアッラーの御意志に従い、神の御命令を遂行しようとしかけたとき、アッラーは天使を遣わせて吉報をもたらした。クルアーンに書かれている。
「われは告げた。『イブラーヒームよ。あなたは確かにあの夢を実践した。本当にわれは、このように正しい行いをする者に報いる。これは明らかに試みであった。』われは大きな犠牲でかれを贖い、末永くかれのために(この祝福を)留めた。『イブラーヒームに平安あれ。』(と言って)。このようにわれは、正しい行いをする者に報いる。本当にかれは、わが信心深いしもべであった。」(整列者章104〜111)
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イブラーヒームと息子のイスマーイールが無事試練をくぐり抜けた時、イブラーヒームはサビル山にほど近い木に縛り付けられていた、美しい目と角を持ち合わせた白い子羊を見つけた。アッラーはその子羊と引き替えにイスマーイールの命を救ったのである。そこでイブラーヒームはミナーでそれを犠牲に捧げた。以来、この行いはハッジに於ける犠牲の儀式として永遠に受け継がれている。
巡礼の儀式は、クルアーン(雌牛章2/196〜20、食卓章5/95〜96、巡礼章22/27〜32)とスンナ(預言者ムハンマド−かれの上に平安あれ−の言行録)に従って行われ、同時に預言者アブラハム(イブラーヒーム)とその妻ハガール( ハージャル)およびその息子、イスマイル(イスマエル)を記念して、彼らが生存中に行ったと同じ行事をいくつか行ないます。 巡礼の重要な目的がイスラームの他のどの儀式にも増してアッラーへの帰依の心と精神的な喜びを培うものです。
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犠牲することは、実際にはバッジの儀式の一つとして行われるものですが、同時に世界中のムスリムは、巡礼の行事に参加していなくても、動物一匹を犠牲にささげ、この日を犠牲祭として祝うことになっています。 犠牲にささげた肉の一部は貧しい人々に食べ物として配布され、残りを家族の食料とし、また親せきや友人にも分けるのです。
ここで指摘しなくてはならないのは、ここでいう「犠牲」をいう言葉は、犯した罪の 償いとか、神の怒りを静めるためにするという一般の意味の犠牲とは全く異なるということです。
この場合の「犠牲」は、自分の欲望を犠牲にして、アッラーに帰依するという意味で あって、このことによってイスラームの信者は、アッラーの道とその教えに従うためには、自分の持っているものすべて、自分の命さえもアッラーにささげる用意のある ことを表現するものなのです。アッラーは、クルアーン巡礼章22〜37節で次のように述べておられます。
「それらの肉それらの血も、決してアッラーに達するものではない、だがなんじらの 篤信(タクワー)こそ神にとどく。このように、アッラーはそれらをなんじらの用に服させたまい、なんじらへの神の導きに対し、アッラーをたたえさせるためで ある。善い行いの者達に吉報を伝えよ」
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